世界終末ネタ小説
「とうとう世界が失くなってしまうらしいよ、クロ」
「そうらしいな、主」
いつも通り、大して興味のなさそうな反応を返し、クロは私が作ったココアを一口飲んだ。クールだね、と私は小さく呟いて彼のとなりに座った。黒いソファがキィと泣く。このソファを買ったのは一体いつのことだっただろうか。そんなことに思いをはせながら、私は自分のためにいれたコーヒーを啜る。
「俺には、」
「うん?」
「……何でもない」
つまらなそうに眉を顰めてクロは首を小さく振った。何かを言いかけて、大事な部分を飲み込んでしまうのは、彼の悪い癖だ。こういう時は、自分から続きを言い出すのを待たなければ、彼はより意地になって言葉を腹の中に仕舞い込んでしまうのは長い付き合いだから解っている。別に急ぐこともないだろう。私はまた、一口コーヒーを啜る。今日はうまくいれられなかったのか、酸っぱくてあんまり美味しくなかった。
できることなら、今日中に続きを吐き出してくれると良いのだけれど。どうやら、今日で世界は失くなってしまうそうだから。
世界が終わるということは、ノストラダムスやマヤの予言で、昔から定期的に告げられてきた。よくある迷信というものだ。その度に世間は沸き立ち、興味本位でもし本当になくなるなら、どうする? などと呑気な仮定の話に興じてきた。本当に世界が失くなってしまう訳がない、只の迷信だから、と。
しかし、今回はどうも可笑しかった。迷信として紹介されるのではなく、確実に起こる崩壊、現実に起こる滅びとしてメディアが大々的に報道したのだ。それも全世界で。今までとは違う雰囲気に、それでもなお世間は呑気にも『本当に起こるわけが無い』『全くなんて不謹慎なんだ!』と少しざわめいただけだった。けれど、日々テレビでもラジオでも新聞でも、終末について報道されているうちに、世間は、いや、人々はじりじりと恐怖に侵され、怯え始めた。もう、おしまいだ。そう誰かが呟いたのをきっかけに、人びとの中の不安や恐怖が爆発した。人々は、ようやく終わりがやってくると認識したのだった。
そして、どうやら今日が、その滅びがやってくる日、世界終末の日、だそうだ。がなりたてるメディア達によると。
テレビが陰鬱な調子で終わりを告げる。ありがとうございました、さようなら、さようなら、さようなら。今までの歴史を粛々と振り返る番組や、この際だからとメチャクチャな調子で騒ぎ立てる番組もある。どれも耳触りな調子なので、私はマズいコーヒーをのみながらリモコンの電源ボタンを押して、テレビを黙らせた。
クロと私だけの空間に、静寂が横たわる。
暫く黙り込んでいたクロが、ようやく口を開いた。
「俺には、さ」
「うん」
「俺には、主のがクールに見える」
「そうかなあ」
「そうだ」
やけに強い調子でクロは頷いて、やっと私の方を向いた。彼の宝石のような瞳が強い力を持って私を見つめる。彼のそんな瞳が私は好きだ。きらきらとしていて、私には無い美しさがあって。私の宝ものだ。恥ずかしいから、絶対に言うことはないけれど。
そんな瞳がゆらりと揺れて、彼の瞼に隠された。眉間には苦しそうに皺が刻まれている。
「主は、いつもとなにも変わらない。終わりがくるっていうのに。信じていない訳でもないんだろう?」
「うん、そうだよ。私も、今日で、あと数時間でこの世界がなくなってしまうと思ってる」
「じゃあ、どうしてだ。どうしてそんなに何も変わらないんだ! 終わっちまうんだぞ、何もかも! 何もかもだ! 後悔したってもう遅い、何も出来なくなる、なのにお前はいつも通り、なにもないような顔をして、ぼんやりしてる!」
「……クロ?」
突然、怒号を張り上げたクロに戸惑い、首をかしげる。彼は相変わらず強く瞳をつぶって、やり切れなさそうに緩々と首を振った。苦しげな様子に、胸が痛む。クロは大切だから、私のことで苦しそうになんてして欲しく無いのに。けれど、私には何が彼を苦しめているのかが分からなくてどうすることもできない。それがひどく苦しくて、自己嫌悪に陥りそうになる。
どうしよう、と思案していると、がっくり項垂れていた彼の首が上がり、あの美しい瞳が薄っすらと此方を見つめていた。
「……主は、怖くないのか」
「何がだい」
「世界が終わることが。もう、何もできなくなることが」
「……全く怖くないわけじゃ、ないよ」
クロを無意味に苦しめてしまわないように、私は言葉をゆっくり選びながら呟くように返事をする。クロは黙って私を見つめ、続きを促してくる。どう言えば、伝わるだろう。考えながら、口を開く。
「怖くないわけじゃない。けど、だけどそんなことは何も変わらない、と思う。終わることがわかっていても、解っていなくても。日常なんて、命なんて、いつ終わっても、おかしくないから。何が起こるか分からないのは、昔から変わってないことだよ。未来なんて分からないのがふつうだから。
……正直ね、クロ。私は今、もしかしたら、凄く安心しているのかもしれないんだ。終わりを、明確に約束してくれている今が、もしかしたら、私の短い人生の中で一番安らげているのかもしれない、……なんていったら、クロ、怒る、かな」
言いながら、きっとこれは彼には理解して貰えないだろうなあなんて思ってしまって怖くなった。やっぱりクロは苦しそうで、でももう目は瞑らずに私をじっと見つめている。しばらくお互い黙っていた。私はこれ以上続けて彼を混乱させたくなんてない。
キィ、とソファを鳴らしてクロが座り直す。それからやっと口を開いた。
「怒ったりなんかしねぇよ。主らしいな、とか思っちまったし。怒りはしねぇ。けど、やっぱり主が考えてることを理解は出来ねぇ」
「……そっか」
「俺は、怖い。……怖いよ主。もう、こうやって、お前と過ごせなくなることがすげぇ、怖い。あと少しで、別れなくちゃいけないとか、そんなの俺は嫌だ」
最後の方は絞り出すように言うと、クロは私の肩に顔を埋めるようにして寄りかかってきた。彼の呼吸が聞こえる。ゆっくりと、震えながら息をしている。それだけ彼は怯えているのだろうか。このどうしようも無い現実に。主、と小さく呼ばれた。私も小さく、うん、と返事をする。また、主、と呼ばれる。返事を返す。呼ばれる。返す。
「あるじ、あるじ、俺はお前ともっと話したかった。もっと一緒に居たかった。お前を支えてやりたかった」
「うん」
「怖えんだよ、主。もう一緒にいられないなんて嫌なのに、どうしようも無いのが怖いんだよ」
「……うん」
「俺はさ、主。俺はな、きっとお前が思ってるよりずっとずっと、お前の事が大事だよ。お前の事が好きだ」
すきなんだ。
彼の声はすっかり震えていた。彼の肩も震えている。泣いているのだろうか? 精霊も泣くのだろうか。私は彼の背中をゆっくりとさすりながらぼんやり考えた。
好きだ、というのは。解っているつもりだ。彼は今まで私が関わってきたどんな人物よりも私を大事にしていること位解っている。それに只々甘えて暮らしてきたのだから。十二分に、ちゃんと、もしかするとクロ本人よりも理解しているかもしれないな、なんて思っていたくらいだ。今は、かもしれないではなくて、解っていると思う。
私が思っている以上に私のことを好きだって? そんなことはないだろう。
クロは優しいから。私みたいなのにかまけてしまう位優しい神さまだから。きっと勘違いしているんじゃないかとずっと恐れていたけれど、本当に勘違いしていたのか。私なんかのことを、必要以上に好きだと。ああ、悲しいけれど、そんなことは、
「そんな事ないって思ってるだろ」
突然、強い調子で肩口から聞こえてきた声に私は思わずびくりと体を硬直させる。それを取り繕うひまも無く、クロは深いため息をついて体を起こした。じっとこちらを見つめる瞳に気圧されて視線をそらしてしまう。低い声で呼ばれる。まだ気持ちを落ち着かせることができず声が出ない。もう一度呼ばれた。なんとか頷いてみせる。何故か小さく笑われた。
「馬鹿な主人だよ、本当に、全く。まあ、……信じてもらえるなんて思っちゃなかったから別にいいけどな」
やれやれと肩を竦めて、クロはまた寂しそうに笑った。それから、私の頬に手を伸ばしてそっと撫でてきた。私はどうしたらいいのか分からずに、只されるがままだ。何といったらいいのか全くわからない。いや、何も言わないのが一番いいのだろう。下手に喋れば、それは全て彼を傷つける刃にしかなりはしないことくらい、馬鹿な私にだってわかる。
「主、好きだぜ。本当は、ゆっくり時間をかけて、信じて貰いたかったんだけどなぁ」
時間切れとか、本当にひでえ世界。吐き捨てるように呟いて、クロはやっと私の頬からそっと手を引いた。私はまだ黙っている。本当は、私が思っていることを言ってしまう方が私には後悔が残らないのかもしれないが、そんな事は出来ない。わざわざ彼を傷つける必要なんてないだろう。私が彼とは真逆のことを、ーーゆっくり時間をかけて、彼が本当は私の事なんて好きじゃないと気付かせたかったのだ、だなんて。今の彼に言っても仕方がない。
優しい神さま。私の大切な神さま。ごめんなさい、こんなに無意味な終わりに付き合わせてしまって。あなたを離すことができないまま終わりの時間まで付き合わせてしまって、本当に本当に、ごめんなさい。
胸の奥で誰に許しをこうているのか、私は謝罪した。そして視線をそらして、残っているコーヒーを飲み干した。冷めてしまったそれは、酷い味がした。
それから世界が終わるという時間まで二人でソファに座って取り止めのない会話をしようとした。思い出話やどうでもいい議論に花を咲かせた。日が落ちて寒くなったら二人で一つの毛布に包まって、また。話を続けた。淡々と。
気付けば眠っていたらしい。日の光が私の瞼を鋭く突き刺して、それで目が覚めた。……目が、覚めた?
おかしい。どうして目が覚めるのだろう。どうして日光が私たちを照らすのだろう。咄嗟に自らの首に手を添える。どくん、どくんと脈が打っている。つまり、私は生きている。おかしい。終末はどうなったのだろう?
テレビをつけた。アナウンサーが、嬉しそうに吐き気のする報道を喋っていた。終末は来なかったらしい。というか、そもそもにして終末などなかったのだ。仕組まれた、壮大な一部を除いた全人類へのドッキリだった。変化のない世界に動きをもたらすために世界の上層部が仕組んだ悪趣味すぎる計画。何とくだらない! 道理で妙に終末のクセに犯罪などもキッチリ取り締まられてそれなりに秩序が保たれていたわけだ。こんなくだらない結末なんて、誰が予想していただろう。ああ、悪趣味すぎる。
眉をしかめて信じられない報道を続けるテレビを消した。ため息が漏れる。最悪な気分だ。昨日のあの安らかさとはなんだったんだろう。
下らない計画にまんまと騙された情けなさに頭を抱える。ああ、ああ。あああ。一体何だったんだ。
しばらくそうしていると、抑えたような笑い声が聞こえた。ゆっくり顔をあげると、ニヤニヤ笑っているクロが立っていた。眠りの必要ない精霊である彼は、私が呑気に眠っている間にこに胸がムカムカする真相を知ったのだろう。そして、今の私の絶望するまでの動きをみていたのだろう。ああ、なんて恥ずかしい。唇を噛んで目を逸らすと、また笑われた。ご機嫌なことだ。
「く、はは……、おはよう、主?」
「……おはよう」
「ふ、くく、ははは、機嫌悪そうだな」
「凄くね。笑わないでくれるかな、クロ」
「はは、無理無理、主酷い顔だぜ、ははは!」
「……」
舌打ちでもしたくなる気分だ。クロはまだ笑っている。
よくそこまで笑えるものだ。昨日はあんなに、……そうだ、昨日はあんなに絶望して恥ずかしいことをぺらぺらしゃべっていた癖に。だんだん腹も立ってきたし、私はゆっくりと立ち上がる。ソファなんかで寝たから体が痛いが今はそんなことにかまけていられない。
「ご機嫌だね、昨日は柄にもなく恥ずかしいことぺらぺらしゃべっていた癖に」
「恥ずかしいこと?」
何がそんなにおかしいのか、まだ笑っているクロに近よりそっと彼のほおに触れる。そして柔らかくほほえんでみせる。苛立ちで少し固い笑顔だったかもしれないが、そこは仕方ないとしよう。
「好きだよ」
「……っ!?」
「好き、だよ。クロ」
そこまでやると、流石に昨日の自分の行為を思い出したか、或いは客観的に見ることができたのか知らないがクロは面白い位真っ赤になった。いや、これは本当になかなか面白い。漫画みたいに、ぼんっと音が聞こえる程に赤面するクロなんて滅多に見られるものではない。少し愉快になって私はくすくすと笑った。
「どうしたの、クロ?」
「な、なんでもね……」
「何でもない? そうかな、さっきまではあんなに元気だったのに?」
「ぅ、あ、あるじ……」
「面白いなあ、こんなに真っ赤になるなんて。昨日の積極性は何処にいってしまったんだい?」
「意地が悪りいぞ、主……!」
唸る様にしてクロは言い、後退り、痛そうな音を立てて机に足をぶつけた。動揺し過ぎだ。堪えきれずに思わず吹き出すと、クロが今度こそグルルと唸った。余計に笑える。次は噛みつかれるかな、なんて呑気に考えているとクロが吠えた。
「仕方ねえだろ、あれが本心なんだから!」
……なんと恥ずかしい爆弾を投下してくれたんだろう。思わずキョトンと固まると、クロはまた、自分の台詞に恥ずかしくなったのかまた少し赤くなって、クソッと悪態をつくとかき消えるように姿を消してしまった。何処に行ったのか、暫くは帰ってこないだろう。クロのことだから。
そうしてくれると私も助かる。なにしろ、予想外の追撃に私も赤くなってしまったから。悔しい。嬉しいと思ってしまう自分にも、少しばかり彼の想いを信じてしまいたくなる自分にも動揺してしまう。やってくれるよ、全く……とよくわからない独り言を言って私は口を押さえた。なんだこれ。恥ずかしい。
とりあえず、終末とやらはなくて。それなら、彼のお望み通り話をしよう。彼の好きなココアと、私の好きなコーヒーをいれて。時間があれば、まだ少しはお互いの考えを分かり合えるのかもしれないなんて思ってしまったから。
どうやらまだ、私達には時間があるらしいから。
121228:世界終末ネタ。思っていたよりクロが素直になった。こいつらは絶賛両片思いコンビだから、こういうことでもないとなんにも進展しないんだろうなあ。途中肩に顔を乗せるシーンでも抱きつけないし、腕を回すこともできない程度にはこの二人には距離があるイメージ。そんな話。